北海道新聞に紹介記事が掲載されました

1996年6月6日

函館出身・田辺さん 介護の苦労名調子に乗せて  二人の母”テーマに創作講談~下の始末や体位変換

日本経済新聞のサンデー日経欄函館出身の女流講談師、田辺鶴英さん(40)==本名・土あか美、東京・杉並区在住==が、実母と義母を介護した体験を基にした新作講談を昨年から手掛け、話題になっている。思いやりあふれるその内容と軽快な語り口が評判で、このほど2作目も完成、9日に東京都内で初披露する。

鶴英さんは1974年に函館の遺愛女子高を卒業した後、上京。美大進学を目指したが、その年の夏、当時42歳の母親が病に倒れ手術後、植物状態に。このため受験勉強を中断、母の入院する北大医学部付属病院へ。
個室に泊まり込んでの介護生活が始まった。流動食の注入、下の始末をし、タオルで体をふいてあげる。床ずれ防止の体位交侠は夜中も続けた。母親は3年半後に亡くなった。
その後、東京で結婚し一児の母となったが、今度はリウマチと腎不全で入退院を繰り返していた義母の介護役に。義母は3年半後、他界した。講談の世界に入ったのは6年前。たまたま聞いた田辺一鶴さんの古典に感勤し弟子入りした。
これまで古典をやってきたが、知り合いからぜひ介護を題材に講談を」と持ちかけられ、昨年、体験にストーリーをもたせた講談「鶴英ちゃんの修羅場介護日記パートⅠ」を創作した。
「題材が題材だけに暗くて深刻にならないよう苦心した」という工夫もあって評判を呼び、この1年間、首都圏はもちろん静岡、新潟、長崎各県など全国十四力所の自治体や福祉団体から招かれ、披露した。

新作の「パートⅡ」の出だしは「徘徊(はいかい)老人、シルバーシートに腰掛けて、ぐるぐる回るは山手線。あたしゃこのごろ外回り…」。昨年、前座から二枚目に昇進して暦きのかかった語りで、介護と遺産相続、福祉行政の不備などを軽妙に聞かせる。

鶴英さんは「介護には思いやりが必要。人間としてどうあるべきか、講談を通じ少しでも多くの人に伝えたい」と、出身地の北海道からの″お呼び″を心待ちにしている。

1996年6月6日(木) 北海道新聞より抜粋