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グッバイ!さようなら!
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介護の日々
妹の礼子さん


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 ・・・ グッバイ!さようなら!

この夏を何とか持ちこたえたかに見えていた爺ちゃんでしたが10月中旬から発熱。検査の結果軽い膀胱炎と診断されたが、食欲不振・嘔吐を繰り返すようになった。

しかし相変わらずの元気な大声でゲロだ!!ゲロが出そうだ!!飲むことも食べることも拒否し始めた。認知症になるとこういう症状もでる人がいるとのことで、医者によっては末期だ、いや中期だ、と様々らしい。

1ヵ月後は仕事がメチャクチャ忙しく、今死なれたら困るので入院先を探してもらった。大声で叫ぶので差額ベッド代金1日2万5千円のところしかなく、仕方ないので入れた。(医療生協の会員であれば良かったと後悔したが時すでに遅しだ。)

人手不足の病院で医療はあるが人手がないという我が家とは相性も悪かった。私にしてみると1日2万5千円の大枚払っているつもり。看護師も無愛想で、せめて愛想よければ救われたが…。行きたくない病院だった。

地方講演続きで忙しいせいもあったが、見舞いも週に一回くらい、行くたびに言葉がすくなくなった。 中心静脈注射が辛いらしく、足の自由がきかないので、工事現場で挟まれているように誤解していて、俺はもうダメだ!早く交代の人よこしてくれ、とずっと叫んでいいた。最後に見舞いに行ったとき、帰るからね!というと「グバ−イ左様なら」。

「腎不全です、透析しますか」と問われ、断りました。点滴だけだと消耗するので胃瘻にしないと時間の問題と言われ、延命しないつもりだったが爺ちゃんが可愛くなってまだ手放したくなかったので胃瘻を決意した。

ところが娘が、私なら胃に穴あけてまで生きたくないと言った。今まで私の立場に立っていて爺ちゃんの立場に立って考えていなかったことに気付かされた。そうかぁ!爺ちゃんには十分楽しませてもらったし、そろそろお別れする時期がきた、と悟りました。

12月5日、仕事も暇になったので家に連れ帰りました。家で中心静脈注射を外した。医者が点滴で様子を見てしますと言ったが、点滴すると浮腫み(むくみ)が出ているから肺に水が溜まって苦しいのだ。酸素を入れ痰を吸引する機械をつけての在宅看取り介護が始まった。夜中の痰で起こされるので娘と2人で一生懸命介護した。

頼りになったのは荻窪病院の訪問看護師達で毎日はいってくれ、誠心誠意看護してくれ、死の受け止め方を伝授してくれた。あれだけ6年間付合ったヘルパー会社は医療行為はできないから他の事業者へと口に出す始末で、大いにガッカリ。

毎日が危篤だったが結果的に点滴しなかったので肺の負担がなく穏やかで苦しそうな顔はみせず、夫私娘に見守られて爺ちゃんは91歳で12月21日冥途へ旅立っていきました。

お爺ちゃんありがとう。十分感謝しています。もういいよ、じいちゃんあなたに救われました。   
 

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