鶴英からのお知らせ

鶴英の講談での公演料金の一部を、
遺愛女子高等学校吹奏楽の応援として
寄付をさせていただいております。


田辺 鶴英

海道の南端 渡島半島の南東部 函館市生まれました。
函館遺愛高校卒業後、藤女子短大別科に
19歳のとき母を失い、心の空白を埋めるためインド・インドネシア・沖縄に旅立つ。帰国後、陶芸家、草間彌生助手など経て夫と出会い結婚、出産、子育ての後、義母が倒れ3年間の介護。
義母の死後、平成2年9月、夢に田辺一鶴が現れ、弟子となり真打ちに。
令和五年4月 講談協会理事。

映画「介護講談」でドキュメンタリー映画ロスアンゼルス賞受賞。
現在、介護講談で人気。発達障害やアスペルガーの講談も大評判!
娘で同じく講談師の田辺銀冶と母娘講談も。

田辺鶴瑛 近影
撮影:加藤 孝

講談のこと

講談とは

張り扇で釈台を叩き、調子良くメリハリをつけて語ります。
講談はそのリズムが命です。リズミカルな話芸によって、どんな荒唐無稽なお話でも本当の出来事のように思わせてしまいます。講釈師見てきたような嘘をつき」「講釈師扇で嘘を叩き出しとは昔からよく使われる言葉です。嘘のことも本当にしてしまう話芸のマジック。そこにこそ講談最大の魅力があるのです。

「講談」「落語
その違いは落語が会話によって成り立つ芸であるのに対し、講談は話を読む芸という言い方ができます。勿論、読むといっても単なる朗読とは違い独特の調子と小道具の使い方で展開される訳なのです。よく使われる小道具として有名なのが張り扇と釈台()です。
張り扇で釈台を叩きパパンという音を響かせて調子良く語ります。この小道具を巧みに使った芸こそ講談ならではのものです

田辺派

田辺派 系図

生い立ち

函館のこと

函館は縄文時代から文化がありました。
江戸時代は海産物交易でさかえ日米和親条約で開港となり異国情緒あふれる街並みとなりました。
母方の祖母は福島県伊達の出身で旧姓は本多でした。
祖父は弘前の出身で、屋号が「一亀」
蓬莱町の浅利精肉店の隣の隣でカネカメ中村屋という高級雑貨店で、近所にある遊郭に高級果物などの商品を卸していました。​​​


遺愛高校のこと

​140年前、アメリカ人宣教師ハリス婦人が、女子教育が重要であるとして開設したもので、学校は重要文化財・有形登録文化財になっています。
信仰・犠牲・奉仕はミスデカルソンの教えであり、今は進学校として人気があります。母も叔母たちも遺愛で私も制服が可愛いからと縁を感じて入学しまし​。
母の姉妹中村恭子・淑子は五年制の遺愛女学校卒業しました。母は戦争中でしたので遺愛女学校を中退しました。
遺愛女学校 戦前の名称です。私は遺愛女子高等学校を卒業しました。

体育館で銀冶と講談を講堂でハリス夫人物語を読ませていだだいたのは一生の思い出になりました。ひとえに同窓生たちのおかげであります。
写真は往年のご令嬢の方々と 福島校長と鶴英。


札幌藤女子短大のこと

写真左が故人となりました恩師である児童心理学教授の奥山わか子(コロナ様)先生。右がマリア院で受付けをなさっていたシスターカルデラです。
コロナ様は、帯広市の仏壇屋の娘でした。母が植物人間になってしまい愛に飢えていた私の複雑な感情を受け止めてくれました。
奥山先生は、「私をお母さんと思っていいのよ」とおっしゃってくださっていたのに、私は「あんたはお母さんじゃない!」と 憎まれ口ばかり。そんな私をカルデラ様は、いつも美味しい紅茶とケーキでもてなしてくれました。 そして、いつも本音丸出しの私に綺麗事ではない本当の事を言って励ましてくれました。あなたの笑顔は素晴らしいといわれたのが最大の誉め言葉でした。お二人のおかげで私は笑顔に自信ができました


家族のこと

両親のこと

父は徳島県阿波郡阿波町から一旗挙げるために北の大地、北海道に。 選んだ場所により、その先の出世が大きく変わった時代です。 選んだのは長万部ダイボダッタの土地。がむしゃらに働き、人望、センスを見込まれ木材会社の婿入りし、後に会社を大きくしました。

私の父 井村守治"
私の母 中村節子​  "

※小糠3合有れば婿入りするな
父は嫁に頭が上がらず、そんな時、母と出会
いました。母は五人姉妹弟ひとりの真ん中。 日舞を習い、呑気な性格、遺愛学園にはいるが戦争で中退していました。そんな母に父は癒しを求めたのでしょう。 また、母は戦後弟達を養う為に、父の人柄や安心感などに惚れ、妾の道を選びました。


夫 土 耕一のこと

夫は絵描きです。妻は講談師、娘が1人。
画家だけでは食べていけないため、
一家を支えるため建築の仕事もして稼ぎました。朝四時に起きて絵を描き、仕事に行き、戻るとすぐに創作。食事もしたり、しなかったり。寝る間も惜しんで絵を描く。倒れるまでそんな生活を5年続けました。
脳梗塞、
心筋梗塞を二、三回し、今は要介護4です。介護五人目の鶴英の手抜き良い加減、自分の人生との共存共栄の快楽介護はいま花盛りで、毎日笑っています。 幸せってささやか〜なんだね。
土 耕一のギャラリーはこちら


二人で子育て

ひとり娘小むぎ(銀冶)誕生。夫は家庭思いな人で二人で子育てしました。
父ちゃんサンキュー!


銀冶が真打に

先に銀冶が一鶴に弟子入りしました。銀冶が姉弟子でした。

師匠一鶴が冥土に赴き、私が師匠となりましたが、 一鶴は放任主義です。受け継いだ私もしかり。
銀冶はお客様、お席亭先輩方、
仲間の皆さんに支えられて晴れて真打昇進する事ができて、 私も一鶴への義理を一つ果たした気がします。 コロナ禍でしたので、パーティはせずに、神田明神お練り、披露興行させて頂きました

介護講談

元祖介護講談師誕生

二つ目になり、男女共同参画センターエポック10の副館長の菊池さんから講談師さんならご自身の経験を講談にしてエポック10祭りで発表してくださいと初めて仕事を依頼されました

豊島区立男女平等推進センター
「エポック10」学習コーディネーター
菊池靖子さん(故人)
介護講談の産みの親です

出前講談会

素晴らしい所に呼んで頂きました。ほんの一部です。

中瀬幼稚園
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岩手八幡平 酒蔵 鷲の尾 創立120周年
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