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1995年6月9日(金) 読売新聞夕刊に紹介記事が掲載されました




二人の母「介護」の一席 


 笑いの中に 苦労の日々

女流講談師、田辺鶴英さん(38)=本名・土あか美、東京都杉並区=が11日、豊島区立男女平等推進センター(エポック10)で実母と義母の介護体験をもとにした創作講談を披露する。

題して「鶴英ちゃんの修羅場介護日記」。軽妙な語り口ながら、女性にとっての介護の大変さを浮き彫りにした話となっている。 

鶴英さんの実母が「脳しゅよう」と診断されたのは、東京で予備校生活を送っていたころのこと。連絡を受け、急いで故郷の北海道へ向かった。《カラス、カーで夜が明けて、場所は札幌の大学病院》。

主治医から「手術しないと危険です」と説明を受けたが、メスを入れた結果「動脈りゅう」と判明。数日後、再手術を受けることになったが、その晩、母は意識不明に陥り、寝たきりになった。《「しばらく様子を見ましょう」と先生は言いましたが、それから三年、ずーっと「様子を見ました」》 

札幌市内の短大に進学し、つきっきりで看病にあたった。朝、起きると母の体を隅々までふき、床擦れを防ぐため一時間ごとに体位を変える。父は仕事で忙しく、鶴英さんは「なぜ私ばっかり……」と恨んだこともあった。 

21歳の時に母が亡くなる。鶴英さんは上京し、夫の耕一さん(45)と知り合い結婚。長女を出産する。 そのうち、耕一さんの母親が倒れた。じん臓を悪くした義母は、五年前に亡くなるまで入退院を繰り返した。

嫁の鶴英さんに介護の負担がのしかかった。《しょっちゅうヒステリーを起こし、家族に八つ当たりしていました。夫の弟をひっぱたいたこともあります》 義父に「自分の奥さんなんだから、面倒をみてあげて下さい」と訴えた。これでようやく、祖父や耕一さん、義弟らとの協力体制ができあがった。

 女流講談師が創作披露

鶴英さんは90年、講談師・田辺一鶴さんに入門。当時、専業主婦だったが、「夢の中に師匠が登場」し、一鶴さんが募集していた講談道場に参加した。この3月、前座から「二枚目」に昇進している。

鶴英さんはこの春、同センターで行われた「男の介護教室」に呼ばれて体験談を披露。参加者たちが熱心に聞いてくれたことから、「私の体験が少しでも役に立てば」と、講談を思い付いた。

「女だけが介護しなきゃいけないなんておかしい」と鶴英さん。「楽しみながら、介護について考えてもらえるものにしたい」と、けいこに励んでいる。

**** 1995年6月9日(金) 読売新聞夕刊より抜粋 ****


 
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